【対象喪失と自己疎外】人はなぜ過去に囚われるのか?

人は誰しも、大小さまざまな後悔や失望、失敗などを経験しながら生きています。そして、それらの過去の出来事を忘れられず、現在も心に留めていることがあるでしょう。しかし、中には過去の出来事に過度に囚われ、前に進めなくなってしまう人がいます。なぜ、人は過去に囚われてしまうのでしょうか?本稿では、その理由を探り、過去の執着から解放されるための方法について考えてみたいと思います。

対象喪失が断念できない

まず、人が過去に囚われる理由の一つとして、「対象喪失を断念できないから」という点が挙げられます。対象喪失とは、ボウルビィが「愛着理論」において提唱した概念で、愛着対象との分離や喪失によって引き起こされる悲哀の過程を指します。対象喪失は、大切なものを失う体験を意味し、愛着を感じる存在である人物や会社、健康などが含まれます。死別や別離だけでなく、情緒的なつながりのある対象を失うこと全般を指します。

この対象喪失によって、人はストレスや喪失感、悲しみなどの感情を抱き、それに対処するための「喪の作業」が必要となります。喪の作業を進めるためには、自己と喪失対象の分化が重要であり、悲嘆の感情を語り、受け止められる場が求められます。ボウルビィの理論によれば、子供が悲しみを適切に処理するためには、安定した親子関係、正確な情報の提供、そして感情の共有が必要とされています。これらの条件が満たされない場合、子供は「母性的養育の剥奪」を経験し、その後の発達に悪影響を及ぼすことがあるのです。

幼少期の愛情飢餓と対象喪失

幼少期に十分な愛情を受けられずに育った人は、心の奥底に深い憎しみや愛情飢餓感を抱えることがあります。愛情飢餓は、不安や恐怖感を伴う、より根深い問題です。この不安を解消するために、人は過去の出来事や失ったものに執着し、安心を得ようとします。たとえば、お金や地位、過去の成功などに執着するのは、それらを通じて「自分は価値のある人間だ」と認められ、安心感を得たいという欲求の表れと言えるでしょう。

幼少期に自分の存在を認められて育った人と、そうでない人とでは、障害に背負う苦しみの量がまるで違います。愛情飢餓で満たされなかった人は、いつまでも満たされなかった願望を満たそうとして、過去にしがみつきます。対象喪失を乗り越えるには、過去の悲劇の感情をもう一度味わう必要がありますが、それができないと、過去の傷に囚われ続けることになります。

自己疎外と対象喪失

自己疎外は、主に不安と自己嫌悪という2つの要因によって生じます。人は、特に競争社会において、他人と比べて劣等感を感じると不安になります。この不安から逃れるために、人は他者よりも優位に立とうと努力したり、周囲に迎合したりします。しかし、このような行動は、真の自己を抑圧し、他人からの承認を得るためだけの「偽りの自己」を作り出すことになります。その結果、自分の感情や欲求、信念、気力から遠ざかり、自分の人生を主体的に生きているという感覚を失ってしまいます。これが自己疎外の状態です。

自己疎外に陥った人は、対象喪失を経験した際に、新しい目標を見つけ、前に進むことが困難になります。彼らは、喪失体験を通して、自分を守るための土台を失ってしまうからです。例えば、失恋を経験した時、心理的に健康な人は、時間の経過とともに悲しみを乗り越え、新たな出会いに向かって進んでいけます。しかし、自己疎外に陥っている人は、失った恋人への執着を手放すことができず、いつまでも過去の恋愛に囚われてしまうことがあるのです。

真の自己から疎外されるとどうなるのか?

自分を他人の上に置くことで、自分の安全を確保しようとする人もいます。そのため、野心や名声に固執することがあるのです。野心や名声が無力感や孤立感を解消してくれると信じているため、現実の依存性や対象喪失を認識し、それを断念できないのです。栄光を求める心の中には、復讐心があることもあります。他人とのつながりの中で育った人は、対象喪失を経験しても、復讐に生きることはありませんが、所有されたり、無視されたり、過干渉の中で育った人は、他人とのつながりを持てず、復讐に心を奪われることがあります。

復讐に生きる者は、対象喪失を受容しないし、新しい情熱の対象を発見し、それと結合することで新しい心の体制を再建することもできません。どうしても復讐の虜になってしまうのです。他者との心のつながりを持ち、“私達”という感情を持てる者のみが、失ったものを諦めることができます。復讐に生きるということは、失った対象に一生支配されるということです。無視されて育ったり、恩着せがましい親に育てられた場合、健全な成長は至難の業です。

執着と母親の関係

対象を失った人は、その対象との関係で心理的安全や所属感、自己同一性、尊敬などを得ようとしていました。その対象を失うと、それらも同時に失うことになります。金や権力を失ったことは、ただお金を失ったというだけではありません。彼らは、それらを通じて心理的不安を解消し、尊敬に対する願望を満たし、所属感を得ようとしていました。しかし、それらは金や権力によって得られるものではありません。金や権力を通じて安全や同一性、所属への願望を得ようとしたことがそもそも間違いです。もし、彼らが愛情豊かな環境で育っていたら、物質的手段に求めることはなかったでしょう。

愛情豊かな家庭で育った者は、「甘え」の欲求を満たされているから、その欲求に固執しません。しかし、神経症的な環境で育った者は、基本的欲求が満たされていません。その欲求が満たされないまま大人になると、その人は無意識のうちにその欲求に支配されることになります。

執着は、幼少期に母親から十分な関心を得られなかった結果として生じます。お金や地位、恋人、失われた機会や日々、諦めきれない何かにしがみつく人がいます。そういう人は、母親からの関心が不足していて、何かにしがみつかなければ不安を解消できないのです。対象喪失というと、母親を失うことを思い浮かべますが、大切なのは、母親がいるのに自分に十分な関心を持っていないということです。

現実に母親を失ったときには、自分に対象喪失が起きたと理解できます。そして、大人になってその当時を振り返り、反省したり、悲しんだりすることができます。しかし、母親がいるのに愛情を感じられない場合、対象喪失に気づきません。ですから、大人になったときに自分が苦しむ理由がわからないのです。母親の愛情不足が対象喪失の原因ですから、それを受け入れたくないのです。母親に無視されたり、過干渉にされたりしたことが対象喪失の原因であったことを認めたくないのです。

過去の執着から解放されるために

過去に囚われることから解放されるためには、まず自分自身の過去を受け入れ、それを理解することが重要です。対象喪失を経験した場合、その悲しみや痛みをしっかりと感じ、それを受け入れるプロセスが必要です。また、自己疎外に陥っている場合は、自己の真の欲求や感情を見つめ直し、自分自身とのつながりを取り戻すことが大切です。つまり「自分自身」になるということです。

さらに、他者との健康的なつながりを築くことも重要です。家族や友人、コミュニティとの絆を深めることで、心理的な支えを得ることができ、過去の執着から解放される手助けとなります。

人は誰しも過去に囚われることがありますが、その原因や背景を理解し、適切な方法で対処することで、過去から解放され、前向きな未来を築くことができるのです。

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